2008年05月18日

サーダナ・パダ 5

2・5 ANITYASUCHI DUHKHANATMASU NITYA SUCHI SUKHATMAKHYATIR AVIDYA.

無明とは無常を常、不浄を浄、苦を楽、非我を我と考えることをいう

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無明とは無知の事。

これは単なる知識が無いということではなく
自己ならざるものを自己とみなしていることを示しているらしい。

自分=自己ではない。
では自己とは何なのか。

自己とは永遠で不変のもの
それは常に、至るところに、根本的実在として在る。。。

こういう考え方、ちょっと難しいけど、結構好きです。
まだ深いところまでしっかり理解できているわけではないけど。  

2008年05月03日

サーダナ・パダ 10

2・10 TE PRATIPRASAVA HEYAH SUKSHMAH.

これらの煩悩が微妙な状態にあるときは、自我に還元することによって除去することが出来る。

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煩悩の除去方法です。

煩悩がありまくる私には、至難の業です。。。  

2008年04月22日

サーダナ・パダ 51

2・51 BAHYABAHYANTARA VISHAYAKSHEPI CHATURTHAH.

内的なあるいは外的な対象に集中している時に起こる、第4の調気がある。

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ヨーガ根本教典によると、第4の調気法については
註釈家の間でも色んな意見があるらしいのですが
インテグラルヨーガではこれを「ケーヴァラ・クンバカ」と指定してあります。

  

2008年04月21日

サーダナ・パダ 7

2・7 SUKHANUSAYI RAGAH.

ラーガとは、快楽にとらわれた心情である。

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ラーガとは執着や貪愛と訳されています。

幸福は麝香鹿のようなもの…
つまり、幸福はもともとわれわれの中にあるのだということ。

納得です。  

2008年04月18日

サマーディ・パダ 40

1・40 PARAMANU PARAMAMAHATTVANTO'SYA VASIKARAH.

心が不動になった人には、根源的原始から最も巨大なものに及ぶ
すべてのものに対する支配力が生ずる。

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心が不動になるとは、たんなる瞑想を示しているのではなく
瞑想の中に深く入り、自己を確立し、心を修得・支配することなのだとか。

瞑想と称してしばらく座り、それがすんだら映画を見に行く…
なんてことをしている人は、ヨーギーとは呼べないそうです。

はい、私はヨーギーではありません^^;